2019年6月3日月曜日

【※激白※】草刈正雄が語る「脇役ばかりの不遇時代」と「スランプを救った大女優の一言」


紅蘭が明かす父・草刈正雄の素顔 孫にはデレデレ、事実婚にも「ナイス!」 - ORICON NEWS
タレントの紅蘭が、23日放送の読売テレビ・日本テレビ系『ダウンタウンDX』(毎週木曜 後10:00)に出演。昨年末に第1子となる女児を出産したが、父で俳優の草刈正雄が孫に対して「めちゃくちゃデレデレ。退院した時は号泣してハグして『よく頑張った』って…。会いに来る度に『完璧だ。素晴らしい』って…」と草刈が初孫誕生を喜んでいる様子を語った。 今回は「2世芸能人大集合スペシャル」として多数の2世芸能人が出演し、親との関係をトークしていく。紅蘭は草刈家の恋愛事情について「ウチは自由というか現実逃避。正雄さんが受け入れたくないとスルーされて…」と明かし、事実婚の男性を会わせた際も「あいさつに行ったんですけど、仲良くなる事もなく…」と苦笑いで振り返る。 それでも、自身の結婚について「入籍していない。結婚にもいろんなパターンがあるし、『私の事実婚スタイルはどうですか?』」と父に聞いたところ、「ナイス!イイじゃない」と反応したことを紹介。さらに、紅蘭見知りしなくなるという独自の子育てを撮影したVTRも公開する 番組にはそのほか、美勇士、生島勇輝、梅宮アンナ、月亭八光、徳光正行、中村橋之助、浜口京子、武藤愛莉らが出演。美勇士は父・桑名正博さんの隠し子騒動について言及する。 【関連記事】 - 【アップ写真】大胆衣装で変わらぬスタイルを披露した紅蘭 - 【写真】似てる?紅蘭、父・草刈正雄との2ショ...
(出典:ORICON NEWS)


草刈 正雄(くさかり まさお、1952年9月5日 - )は、日本のモデル、俳優、歌手、司会者、タレント。 福岡県小倉市(現在の北九州市)出身。身長185cm、血液型はO型。左利き。バービィオフィス所属。 父親はアメリカ軍の兵士であったが、日本人の母親が草刈を妊娠していた最中、朝鮮戦争で戦死。子供時代
52キロバイト (5,905 語) - 2019年6月1日 (土) 07:01



(出典 www2.nhk.or.jp)


結局、大物女優って誰?!wwwwwwww

1 ニライカナイφ ★ :2019/06/02(日) 09:52:50.62 ID:CKtFdx8o9.net

◆ 草刈正雄が語る「脇役ばかりの不遇時代」と「スランプを救った大女優の一言」

■ 三つの試練がもたらした「草刈正雄」復活の日

 現在放送中のNHKの連続テレビ小説「なつぞら」で“おんじ”を演じるなど、ここにきて草刈正雄(66)に再び脚光が集っている。女手一つで育てられた草刈青年は、工場勤務、訪問販売員を経たのち、“月5万円”の稼ぎを求めて芸能界へ。赤貧洗うが如き環境を脱し、モデルから俳優への道を切り拓いたのもつかの間、交通事故を起こしてドラマを降板――。本人が「生き抜くヒント」を赤裸々に語る。

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〈20代半ばにして、スターへの階段を一気に駆け上がった草刈。エランドール賞新人賞を獲り、南極ロケを敢行した「復活の日」(80年公開)や、一匹狼のレーサー役を演じた「汚れた英雄」(82年公開)などのヒット作でも主演を張る。「二枚目俳優」の地位を確固たるものにしたが、当の本人は長き苦悩の始まりだったと明*。喝采を得たにもかかわらず、三たびの試練が彼を襲っていたのである。〉

 そうやって役者の仕事をするうちに、「二枚目俳優」と呼ばれることに辟易というか、率直に言って嫌だと思うようになりました。

 あの頃は、ショーケンこと萩原健一さんと共演する機会に恵まれ、こんな芝居をする人がいるんだとビックリしたり、田中邦衛さんのような、少しクセのある俳優さんに物凄く憧れて。自分はカッコイイ役じゃなく崩した役をやりたい。普段の仕事でも、そういう傾向が強くなっていったんですね。二枚目をやらせて貰うこともありがたいんですが、俳優としては伸び悩んでいた時期だったんです。

 求められるがままの役柄を演じ続けるという方法もあったと思います。だから、今となってはどちらがよかったのかは分かりません。けど、迷いが生じて周囲の皆さんに迷惑をかけてしまったのは事実です。

■ 脇役の仕事ばかり

 77年放送のドラマ「華麗なる刑事」で、ロス帰りの刑事を演じた時のことです。まさに「華麗なる」役柄を頂いた僕の共演者は、田中邦衛さん。九州男児の泥臭い刑事という設定で、だからこそ2人の掛け合いが面白いのに、私は邦衛さんのお芝居に感化されてしまい……。段々と泥臭い役柄にブレていき、結局ちっとも華麗なる刑事じゃなくなっちゃった。現場のプロデューサーさんも泣いていたと思います。

 なんせ、当時の僕は感覚でお芝居をやっていたところがありましてね。17歳の時に突然上京して役者としての基礎もない。劇団に所属もしておらず経験もない。モデルのぽっと出だというコンプレックスがあって自信がまったくなかった。

 芝居をずっとやってきた人は、声もよく出るし動きもシャープでした。基礎を知らないとこの先長くは続かない。そう思って僕もいろんな努力はしたのですが、勉強はキライだし(笑)。今さら劇団にも入れないと、悶々とする日々だった。

 そんな壁にぶち当たっていたのは30代半ばの頃。やはり映画やテレビの仕事がだんだんと減っていきました。昔のように主役を張ることができず脇役の仕事ばかり。それでも僕はラッキーな方で、名前だけは通っていたので役は小さくても仕事は頂けていました。とはいえ、これまでは重要なシーンで自分にズームアップしていたカメラが、スーッと横を通り過ぎて主演俳優の方へと近づいてゆく。それを目の当たりにして、さすがに寂しい思いをすることは多々ありましたね。

 もう俳優の仕事は辞めよう。そんな弱気が頭をよぎることもありましたが、逃げることはしなかった。それはそれとして、「僕にはお芝居しかない」と思っていたんですね。だからどんなに上手くいかなくてもしがみついてこれた。どうせ辞めても、学歴もないし他にやれることはない。妻と結婚した時期でしたから、経済的にもどんなに役が小さくなろうと、この道を続けると心に決めていました。

 ちなみに、結婚は36歳の時でしたが、彼女は私の芝居には一切興味がないそうで、出演作を見ることはありません。けれど仕事や私生活での悩みには常に寄り添ってくれ、傍(かたわ)らで支えてくれている。そう、役者としての数々の試練を乗り越えられたのも、こうした人々のおかげでした。

2019/6/2(日) 8:00 デイリー新潮
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190602-00562517-shincho-ent

(出典 amd.c.yimg.jp)


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